【 概 要 】−伊香保神社が何時頃から祭られているかは判りませんが、当社に伝わる社伝によると天長2年(825)、本社とされる三宮神社(群馬県北群馬郡吉岡町)の社伝によると天平勝宝2年(750)に創建されたと伝えられています。又、「神道集」によると、大宝元年(701)水沢寺(群馬県渋川市)の住職だった恵美僧正の霊夢に伊香保姫が出現し、伊香保大明神として水沢寺の守護神になろうとの御告げがあった事から、伊香保姫の持仏だった十一面千手観世音菩薩(坂東三十三番札所第16番札所)を水沢寺の本尊として迎え、守護神として伊香保大明神を祭る社を設けたと記載されています。その後の経緯は判りませんが、伊香保山(榛名山)を御神体とする信仰が強くなり、山頂が遥拝出来る現在の三宮神社の境内に遷座し、その後、伊香保温泉の発展と共に温泉街の一角に境内を構え、温泉の守護仏である薬師如来像が安置されている薬師堂の鎮守社として遷座されたと推定されています。伊香保神社は古くから格式が高く平安時代に成立した「続日本後紀」や「日本三大実録」でも名を連ね、延喜式神奈帳では名神大社として記載され、上野国では一宮貫前神社(群馬県富岡市)、二宮赤城神社(群馬県前橋市)に次ぐ三宮に格付けされています。上記の「神道集」によれば赤城神社の祭神である赤城大明神の妹を伊香保大明神としています。伊香保温泉は草津温泉(日本三名泉・湯畑)と四万温泉と共に上毛三名湯に数えられる名湯で、戦国時代には武田勝頼の命で家臣だった真田家が整備している事から、真田家からの庇護があったかも知れません。その後は薬師堂は医王寺の管理し、伊香保大明神は湯前大明神と呼ばれ温泉寺が別当寺院として祭祀を司ってきましたが、明治時代の神仏分離により温泉寺は廃寺となり、改めて温泉の守護神である大己貴命と少彦名命の分霊を勧請し、社号を「伊香保神社」に改称し県社兼郷社に列しています(薬師堂は温泉神社に改称し、伊香保神社の摂社となり、明治11年の火災を機に合祀され、その際、薬師堂も再建されています)。伊香保大明神である伊香保姫の持仏だった十一面千手観世音菩薩が継母の刺客から命を守った事から、特に子授かり、安産、子育てに御利益があるとして信仰の対象となった事が起因し伊香保神社も同様の御利益があるとしています。
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