群馬県・富岡市・貫前神社

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【 概 要 】−貫前神社の創建は安閑天皇元年(531)、物部姓磯部氏が氏神である経津主神の分霊を勧請して鷺宮に奉祀したのが始まりと伝えられています。物部氏の氏神は物部氏や宇摩志麻遅命ですが、磯部氏は元々物部姓では無く、平安時代に成立した「続日本紀」の天平神護2年(766)5月の条に礒部牛麻呂に物部姓を賜った事が記載さています。この事から、物部氏とは関係が無く、元々、地元神の姫大神と磯部氏の氏神の経津主神が祭られていたとも考えられます。元々は上毛野国造の氏神である大己貴命・豊城入彦命を祭る赤城神社が上野国の主要神社だったと思われますが、磯部氏の台頭により、磯部氏の氏神である経津主神が祭られている貫前神社が赤城神社を上回るようになったようです。貫前神社は平安時代に編纂された歴史書"続日本後紀"や"日本三代実録"にも記載されていますが、貫前神社と拔鋒神社の2社の社名が記されている事から、2神(経津主神・比売大神)2社説と2神1社説があるようです。延長5年(927)に編纂された"延喜式神名帳"では貫前神社が名神大社に列していて、上野国(群馬県)で記載されている式内社の12社中の筆頭である一ノ宮として信仰を広げました。歴代領主や周辺の大名、為政者からも信仰され、特に上杉氏や小田原北条、武田氏は篤く崇敬され、武田氏にいたっては社殿の造営費用を賄ったとされます。江戸時代に入ると幕府から庇護され社領の寄進や社殿の造営などが行われ、明治時代には国幣中社、太平洋戦争後は本庁別表神社となっています。貫前神社の境内は「下り宮」あるいは「下り参りの宮」と呼ばれる形式で参道を一旦登った後、総門から下った所に社殿が配置されている独特なものです。又、貫前神社社殿は寛永12年(1635)、3代将軍徳川家光が再建したものを5代将軍綱吉が改修したもので本殿 、拝殿 、楼門が国指定重要文化財に指定されています。
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