群馬県・草津温泉(日本三名泉・湯畑)

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【 概 要 】−日本三名泉の1つである草津温泉の開湯伝説は大きく3つあります。

1つは日本武尊です。日本武尊は奈良時代の和銅5年(712)に太朝臣安萬侶によって編纂された「古事記」や養老4年(720)に舎人親王らの撰で寛政した「日本書紀」などで日本成立過程で英雄視された人物で、それによると景行天皇(第12代天皇・在位:西暦71〜130年)の皇子とされています。日本武尊は東国の平定を完遂すると武蔵国(東京都・埼玉県)、上野国(群馬県)、信濃国(長野県)を経て、尾張国に向ったとされ、その行程の最中に草津温泉に立ち寄り、後に御座石と呼ばれ湯畑の近くに位置する大石に座しながら湯に浸かり度重なる戦の疲れを癒したと伝えられています。日本武尊は現在、草津温泉の鎮守である白根神社の祭神となっています。

1つは行基菩薩です。奈良時代の当時、仏教は上流階級に限定した信仰でしたが、行基菩薩は現在でいう公共事業や慈善事業を行うと同時に布教活動をした事から仏教を信仰する人々が一般庶民にも広がりました。行基菩薩の行動範囲は関西地方中心だったと推定されますが、行基を慕う信者が全国に布教に赴いた際に行基の伝説を流布したと考えられ、全国にはありえない程、多くの行基縁の寺院や史跡が点在する結果となっています。草津温泉では奈良時代の養老5年(721)に行基菩薩が道に迷い苦心していると、言い知れぬ霊気に導かれ、その霊気の源に行き着くと草津温泉の源泉を発見する事が出来たと伝えられています。さらに、行基は温泉の守護仏である薬師如来に感謝し、湯畑を見下ろす高台に御堂を設けて薬師如来を安置したと伝えられています。

1つは源頼朝です。言わずと知れた鎌倉幕府初代将軍です。草津温泉に伝わっている伝承によると建久4年(1193)、頼朝は浅間山の山麓で巻き狩りを行っていた際、偶然源泉を発見したと伝えられています。又、この一連の事柄は、幕府により編纂された「吾妻鑑」に記載されている事と伝えられていますが、実際にはそのような事は書かれおらず、何者かが故意に変節した伝承を流布したとも考えられます。湯畑より上流の位置する白幡源泉には頼朝を祭る頼朝宮の石祠が建立されています。

草津温泉が客観的な文献などに登場してくるようになったのは室町時代に入ってからで、周辺の領主が度々草津温泉に湯治の訪れた事が記録に残っています。又、戦国時代に万里集九によって筆された「梅花無尽蔵」には全国に数多くの霊泉(名泉)があるが下野之草津(現在の草津温泉)、津陽之有馬(現在の有馬温泉)、飛州之湯島(現在の下呂温泉)の3処が最たる者だと評し、日本三名泉の由来となっています。この事から戦国時代には既に草津温泉が日本三名泉に選定される程に知名度が高かったと推察されます。

一方、草津温泉の湯守だった、湯本氏の家伝によると、湯本氏は木曽義仲の家臣だった家柄で、1人娘が義仲の愛妾となり、義仲の忘れ形見が湯本氏の家督を継いだという内容です。さらに、源頼朝が浅間山の山麓で巻き狩りを行っていた際に、身分を隠して、頼朝の世話役を行い、草津温泉に案内した事が喜ばれ、草津温泉の湯守を命じられ一帯の所領を賜ったとされます。以上の事から、草津温泉の頼朝伝説は湯本氏が正当性を主張する為に流布したとも考えられます。湯元氏は戦国時代には周辺を支配する土豪としても知られるようになり、真田家を通じて武田家に仕え、多くの合戦にも出陣して功を挙げています。天正10年(1582)に武田家が滅ぶと、土豪としても湯本氏も勢力を失い、一族の一部が引き続き草津温泉の湯守的な存在として取り仕切っていたようで、現在に続く老舗温泉旅館の中には湯本氏の後裔が経営している宿があります。又、湯本家の宗家とされる一族は隣町である中之条町の六合村赤岩集落(国の重要伝統的建造物群保存地区)に土着し名主となっています。

武田家が滅んだ後は、織田家の有力武将が湯治に訪れるようになり、織田信長が本能寺で倒れると、豊臣秀吉の家臣や親族が利用するようになっています。江戸時代初期にかけては真田家の管理下でしたが、沼田藩の真田家が改易になると、天領となり、8代将軍徳川吉宗はわざわざ草津温泉で採湯した源泉を江戸城まで運ばせ入湯を楽しんだそうです。又、幕府に仕える儒学者林羅山は万里集九が主張した日本三名泉を追認し「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島是三処也」と記し、同じく有馬温泉と草津温泉と下呂温泉を日本三名泉としています。江戸時代中期以降になると一般庶民にも湯治を楽しむ人が急増し、草津温泉には数多くの湯宿が設けられ大きく繁栄するようになり小林一茶や十返舎一九などの文人墨客も草津温泉に足を延ばし、温泉の功能を番付する諸国温泉功能鑑では東日本の最高位である大関に格付けされています。

明治時代に入るとドイツ人医師のベルツ博士が、温泉成分や入浴方法を科学的に分析し、論文として世界に発表した事で、世界的な保養所として知られるようになっています。草津温泉は上記のように日本三名泉に数えられている他、伊香保温泉(群馬県渋川市)、四万温泉(群馬県中之条町)と共に上毛三名湯に、有馬温泉(兵庫県神戸市)、松之山温泉(新潟県十日町)と共に日本三大薬湯に数えられ日本を代表する温泉地となっています。又、周辺には温泉が多く、沢渡温泉(群馬県中之条町)は草津温泉より弱酸性の泉質で肌に優しい事から「治し湯」や「仕上げ湯」とも言われています。

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