群馬県・安中市・新島襄旧宅

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【 概 要 】−新島襄は天保14年(1843)、安中藩江戸上屋敷で生まれた安中藩士で、函館へ留学の後、米国船に乗り込み脱国しアメリカに渡りました。明治5年(1872)、罪が許され岩倉使節団の通訳となりアメリカ、ヨーロッパ諸国に随行、任を果たした後アメリカのアンドーヴァー神学校入学して牧師となっています。明治7年(1874)に帰国、明治8年(1875)には京都の旧薩摩藩邸跡の敷地を購入し同志社英学校(現同志社大学)の設立に尽力し、明治23年(1890)に大磯の旅籠百足屋で腹膜炎により逝去しています(享年48歳)。安中の地は父母の家が住んでいた場所で新島襄もここを拠点にし西洋文化やキリスト教を広めています。昭和38年(1963)に新島襄の旧宅(両親の居宅、新島襄は3週間程滞在しています。)を移築し、内部には関係資料を展示しています。建築年代は不詳ですが両親が幕府が崩壊し安中藩が廃藩となり、安中に戻ってから新築、又は購入したと考えられる為、江戸時代末期から江戸時代初期頃の建物と思われます。内部の間取りから、当初は2戸で1棟の長屋形式で武家長屋の形式を継承しているようですが、市内に残る武家長屋と比べると規模が大きくある程度の格式を持っていた事が窺えます。新島襄旧宅は安中市指定史跡に指定されています。
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新島襄旧宅(安中市):周辺の見所

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