群馬県・安中市・補陀寺

  群馬県の観光と歴史的建築物(ホーム)安中市>補陀寺
【 概 要 】−補陀寺は応永年間(1394〜1428)に無極慧徹禅師が創建した古寺です。無極慧徹禅師は肥前国(現在の長崎県)出身の曹洞宗の高僧で、実家は足利氏に仕えた武士でしたが、幼少期に日向国(現在の宮崎県)の東林寺で出家して修行を重ね、相模国(現在の神奈川県)の最乗寺で了庵慧明禅師に師事し跡を継ぐ立場となり、関東周辺に多くの曹洞宗寺院の開山に携わりました。当初は草庵程度の規模でしたが、兵火により焼失した事で月江和尚が正式な寺院として再興し寺号を改め「大泉山補陀寺」に定め境内が整備されました。歴代の領主である安中氏、武田氏から庇護され、天正10年(1582)からは小田原北条氏の有力家臣大道寺政繁が領主になると自らの菩提寺としました。境内は松井田城の一角で補陀寺郭と称されましたが天正18年(1590)、小田原の役で前田利家、上杉景勝、真田昌幸が率いる35000人の軍勢の前に屈し、政繁は豊臣軍に従軍し戦乱が終了後切腹させられ、松井田城は廃城となります。補陀寺もその兵火により大破し、現在地に境内を移して再興され一角には政繁の宝篋印塔が建立されました。
スポンサードリンク

補陀寺(安中市):周辺の見所

横川茶屋本陣 安中城 新島襄旧宅 めがね橋 旧安中藩郡奉行役宅 補陀寺 五料茶屋本陣お東 不動寺 大泉寺 松岸寺
※ 当サイトへの相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。又、回答はあくまでも当社の考えであって1つの参考意見です。ご自身の責任でご判断下さい。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当社は一切責任を負いません。又、回答を直接的(当社の名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。 尚、リンクは自由ですが画像(写真)や文章等の利用は遠慮させていただいております。御理解の程よろしくお願いします。
inserted by FC2 system