【 概 要 】−不動寺の創建は寛元元年(1243)、慈猛上人(通称:密厳上人、留興長老)が開山したのが始まりと伝えられています。伝説によると慈猛上人が巡錫で当地を訪れた際、雷雨の為に一夜を過すと地面から龍が天に昇り、その跡から昏々と霊泉が湧き出した事から霊地と悟り一宇を設けたとされ、その泉が川下の村々の田圃の水源になった事から古文書に「境内老松のもと泉(井)あり、そそいで民田に到る」と記載され松井田の地名の由来となっています。戦国時代の天正年間には武田信玄の帰依を受けて寺領の寄進を受けるなど庇護され武田家の祈願所として寺運も隆盛します。江戸時代に入ると幕府から庇護され三代将軍徳川家光から朱印地89石6斗を賜っています。末寺は17ヵ寺に及び大きな影響力を持つ大寺だったとされます。境内正面にある仁王門(群馬県指定重要文化財)は江戸時代初期に建立されたと推定される建物で、切妻、こけら葺き、三間一戸、八脚の単層門、全体が朱色で彫刻部(欄間、蟇股)が極彩色で彩られ左右には仁王像が安置されています。又、観応3年(1352)に建立された3基の石塔婆と寺宝で鎌倉時代に制作された木彫不動明王像も同じく群馬県指定重要文化財に指定されています。現在も信仰が広く関東四国八十八箇所第二番札所、北関東三十六不動尊第四番札所、新上州三十三観音第二十一番札所にも選定され多くの参拝者が訪れています。 本堂は入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張、縦押縁押え。不動堂は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、群馬県指定文化財に指定されている木彫不動明王像に安置されています。
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