【 概 要 】−河内神社の創建は平安時代末期の平治元年(1159)、河内国(現在の大阪府)の領主だった宮部右馬頭藤原義信が当地に移り住んだ際、故郷を思い河内国一ノ宮だった牧岡神社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています(枚岡神社は大阪府東大阪市出雲井町に鎮座し、河内国一宮。旧社格は官幣大社。神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命が、神津岳の山頂に祖神である天児屋根神を祭った事を由緒としています。しかし、河内神社には天児屋根神は祭られていないようです)。義信は三峰山山頂付近に小祠を建立し河内大明神と名付け、義信が死去すると御霊が祭神の春日神の端に祭られるようになったそうです。春日神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称ですが、河内神社には春日4神も枚岡神社の祭神も祭られいない事から上記の由緒に疑問視する人達もいます。一方、「全国神社名鑑」によると境内が利根川と片品川に挟まれている事から河内神社と呼ばれるようになったとあり、こちらの方が自然な印象を受けます。平安時代に成立したとされる「上野国神名帳」で従三位に列していた「大社明神」にあてる説もあり、社号は河内神社ですが、そもそも牧岡神社の祭神を祭る神社ではなかった可能性があります。
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