【 概 要 】−箕輪城は永正9年(1512)に長野業尚によって築いたのが始まりとされます。長野氏は古くから関東管領上杉氏の重臣としてこの地に土着した国人領主で、当時の管領上杉憲政が越後へ落ちると独立し領土を広げました。上杉謙信が後ろ盾となると長野氏は西上野を束ねる旗頭的存在となり、武田氏や小田原北条氏の侵攻を何度も防いでいます。箕輪城も戦場となり度々攻防戦が繰り広げられましたが永禄9年(1566)武田軍の総攻撃で遂に落城し、以後は武田氏の上野国侵攻の軍事的拠点として甘利や真田氏などの重臣が城代として赴任しています。武田氏が滅ぶと北条氏、滝川一益、北条氏と入れ替わり、天正18年(1590)、北条氏が滅ぶと関東地方が徳川家康の領地となり箕輪城は重臣である井伊直政が12万石で入封します。この次期に箕輪城が近代的で現在見られるような城郭に改修されました。慶長3年(1598)に高崎城へ移った事で箕輪城は廃城となり、廃材が高崎城に利用されたと言われています。現在の箕輪城は郭の形状や土塁、空掘り、石垣などの遺構がよく保存されていて昭和62年に国指定史跡に指定され、平成18年に日本100名城にも選定されています。
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