【 概 要 】−元和2年(1616)に徳川家康が死去すると一旦久能山(静岡県静岡市久能山※駿府城に対する霊地とされた)に葬られ、翌年日光東照宮(栃木県日光市山内)に改葬されました。社殿は2代将軍秀忠によって造営されましたが3代将軍家光は家康に対して信仰が篤かった為、日光東照宮を新たに造営し、元の多宝塔・唐門・拝殿を徳川家縁の世良田に移築しました。別当には徳川家の祖とされる義季が開基した長楽寺があたり当時の住職が天海大僧正だった事からも幕府が重要視していた事がわかります。寛永21年(1644)に日光東照宮から徳川家康の分霊を勧請し、新たに本殿を造営した事で現在に見られるような世良田東照宮の境内となり幕府からは社領200石の朱印地が安堵されました。江戸時代中に社殿の改修は十数度に渡り、その修繕費は全て幕府が賄ったとされ長楽寺と共に繁栄を極めました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により長楽寺から分離し、明治12年(1879)に郷社に列しっています。世良田東照宮の社殿は本殿(内部に安置する厨子、須弥壇共)、拝殿、唐門が国指定重要文化財に指定されている他、境内にある元和4年に制作された鉄燈籠も同じく国指定重要文化財に指定されています。
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