群馬県・太田市・冠稲荷神社

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【 概 要 】−冠稲荷神社は源義経(河内源氏の源義朝の9男)縁の神社として知られています。伝承によると、遮那王(源義経の幼名)は鞍馬寺に預けられ平家打倒の為修行に明け暮れていましたが、年頃になった平安時代後期に承安4年(1174)、出家を強要された事を受け鞍馬寺を出奔し自ら元服を行うと、平家の勢力の及ばない奥州平泉(岩手県平泉町)に本拠を置く藤原氏を頼り下向しました。その際、訪れたのが当社で、叔父にあたる源義国が創建又は再興に関わった事を知ると、烏帽子(冠)に収めていた伏見稲荷大社(稲荷信仰の本社:京都府京都市伏見区)の御霊を、当社に勧請し、境内で得た御神水(現在、冠稲荷神社の拝殿前にある御神水)で体と心を清め奥州平泉までの道中安全を祈願しました。この故事から当社は冠稲荷神社と呼ばれるようになり、伏見稲荷大社(京都府京都伏見区)、豊川稲荷(愛知県豊川市)、信太森神社(大阪府和泉市)、王子稲荷神社(東京都北区岸町)、妻恋稲荷神社(東京都文京区湯島)、一瓶塚稲荷神社(栃木県佐野市)と共に稲荷信仰による日本七社に数えられました。鎌倉幕府滅亡の際には新田義貞が当社で幕府打倒の戦勝祈願が行われ、義経の故事に習い、兜(冠)の中に当社の分霊を勧請し見事念願成就した事から益々当社の名声が高まりました。
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源義経の縁の冠稲荷神社(太田市):周辺の見所

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