群馬県・甘楽町・崇福寺(織田氏七代の墓)

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【 概 要 】−崇福寺の創建は不詳ですが4代小幡藩主織田信久が織田家歴代の菩提寺とする為、廃寺だった崇福寺を臨済宗の寺院として再興しています。織田家は立藩当初は宝積寺を菩提寺にしていましたが問題が生じ3代までの墓石を崇福寺に移しています。再興にあたっては3年の歳月が費やされたそうで本堂と墓石までは廻廊で結び墓の上部には上屋が設けられ勅使門を配置するなど寺運も隆盛しますが明和4年(1767)に"明和事件"の不手際から高畠藩(山形県高畠町)に移封になると庇護者を失い次第に衰退し、明治4年には火災により堂宇が全焼するなど災難が続きます。現在は本堂の他に位牌堂が再建され歴代小幡織田家の位牌が安置され、背後には初代織田信雄以下7代の墓碑が並んでいます。又、崇福寺正面には「下馬」の碑があり、当時勅使門には後醍醐天皇が直筆した「大荘厳域」の勅額があり崇敬の念からここで馬を下りることが決められたそうです。織田氏七代の墓と下馬の碑は甘楽町指定重要文化財に指定されています。
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