群馬県・甘楽町・宝積寺

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【 概 要 】−宝積寺の創建は不詳ですが当初は南方の山の中腹に庵を構え天寿庵と称していました。境内には弘安3年(1280)の石碑もありそれ以前から開基され大きな影響力をもっていました。中世に入ると領主である小幡実高が中興開基となり宝徳2年(1450)に再興し歴代小幡家の菩提寺としました。小幡氏は武田家に仕え、その後小田原北条氏に仕えるなどいずれも主家が滅亡した為没落しましたが歴代の墓は住職と子孫が守り続け甘楽町指定史跡に指定されています。江戸時代に入った元和3年(1617)、織田信良が2万石で小幡藩主となると自らの菩提寺(後に崇福寺に改葬)としました。現在の本堂は寛政5年(1793)に建てられた寄棟、銅板葺き、桁行き11間の古建築物で開山堂の天井には狩野派によって描かれています。境内には歴代小幡家の墓碑の他菊女と母の墓、宝暦から明和にかけて建立された"身代わり地蔵"、永禄6年(1563)宝積寺合戦の折、巌空坊が切腹した伝説が残る"天狗の腹切り石」"、甘楽町銘木十選に選定されている"しだれ桜"と"大いちょう"などがあります。
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宝積寺(甘楽町):周辺の見所

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