群馬県・伊勢崎市・伊勢崎陣屋

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【 概 要 】−慶長2年(1597)、稲垣長茂が1万石で伊勢崎藩を立藩、赤石城跡地に居館を築き居城としたのが始まりとされます。元和2年(1616)に稲垣重綱が越後藤井藩(新潟県柏崎市)へ移封すると一時廃城となり陣屋門は同聚院へ移築されています。その後、寛永14年(1637)酒井忠能が2.25万石で立藩、寛文2年(1662)信濃小諸へ移封。天和元年(1681)、酒井忠寛が2万石で伊勢崎に入ると改めて立藩し陣屋を築きます。城域は約400m四方あり広瀬川を天然の外堀とし本丸の外側を高い土塁で囲み、二の丸、乾崎曲輪を配しました。明治維新後に廃城となり城跡は本丸部分は小学校や図書館の敷地となり、その他は同聚院や宅地化となりほとんど遺構は見られません。又、廃城になった時解体された陣屋の部材の一部が市内にある森村家住宅で再利用されています。

稲垣長茂: 当初は牧野康成の与力又は家臣として今川家に従っていましたが、今川家が没落すると牧野家と共に徳川家に仕えるようになりました。天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封になった際、徳川家の直参の家臣となり上野国内に3千石が与えられました。慶長5年(1600)に関が原の戦いでは東軍に与して行動した為、1万石が安堵され伊勢崎藩を立藩し初代藩主となっています。

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